DIARY
001
 今年私は故郷のロシアに行ってきました。2005年10月5日発売予定のニューアルバム「オーロラ」収録後すぐ、息子を伴い8月いっぱいの予定での出発でした。
今回ほど楽しい旅は記憶にありません。なぜならノボシビルスク市で活躍する旧友たちのアコースチック・バンド「2+1」と二度もコンサートを開くことができたからです。コンサートには「生の私を聴く」チャンスがめったにない私の家族や友だちを大勢招待しました。初めは近しい人たちだけが集まる小さなコンサートだと思っていました。宣伝のチラシもほとんどありませんでしたから。ところが驚いたことに私の帰省が街では早くも知れ渡っていてノボシビルスクの新聞、テレビ、ラジオからインタビューまで申し込まれたのです。二回目のコンサートは大入り。小さな日本国旗を振る若者の大グループまでいて本当に驚きました。大学の日本語学科の学生だろうと思っていたら日本アニメのファンで、コンサート後取り囲まれてサインや質問攻めにあいました。まったく予期しなかったことでした。後で知ったのですが私のことは故郷では良く知られていて、アルバムにも関心を持ち、これからの予定などにも興味を示してくれています。とても嬉しいショックでした。私のCDはロシアでは買えないので私のことなど誰も知らないとずっと思っていたのです。ところがところが、私のロシアのファンは日本に行く知り合いがいたらCDを買ってくるように頼み、テープを交換したりして聴いてくれています。ソ連時代海外アーティストのレコードを苦労して手に入れていたと同じです。この時がいつかやってくるだろうと思ってはいましたが、こんなに早いとは・・・。次回のコンサートを楽しみにしてると言いながらみんなで見送ってくれました。ただそれがいつになるかは誰にも約束できませんでした。でも近いうちにロシアでもデビューを果たす望みを心に秘めたのです。

 晩ごとに街をぶらついてはなつかしい場所を訪れました。青春時代の4年間をすごした音楽学校のそばを通りかかった時にはある出来事を思い出さずにはいられませんでした。私のその後の運命と日本への道を暗示した出来事です。
 「合唱スコア」という科目担当の女の先生がいました。当時ロシアで手相術が流行っていて、周りの人たちの誤解と嘲笑の的になっていました。この先生はその手相術に凝っていて、自分には予言力があると思っていました。彼女の授業もちょっと変わっていました。星の配置とか生命線とかをよく使って説明するのです。私にとってはまったく新しい考え方であまりよくはわかりませんでしたがとても面白く、現実を批判して自分の真実味のある解釈をするので私には異論はありませんでした。
彼女との思い出で一番印象に残っていることがあります。彼女は私を見るたびいつもにこう繰り返したものです。
「レーノチカ(私の名前を最後まで覚えず、いつも「レーノチカ」と呼んでいました。初めの頃は訂正したのですが、あとでは無駄な抵抗はやめました)、あなたには驚くくらい強いオーラがあるわね。近いうちに出発する準備をしておきなさい。あなたの印は空気で、山の多い空間をその空気で満たさなくちゃ!ここのような平坦な土地に住んではダメ、ひからびてしまうわ。山の多い国に行きなさい。そしたらあなたのオーラが居場所を見つけるでしょうよ」。
 当時私はどこかに行くなんて考えてもいませんでした。児童音楽学校で音楽の先生になるつもりだったのですが、彼女との付き合いのせいで歌手になって舞台に立つといった子供っぽい憧れを強く意識し出しました。でも田舎出の女の子がそんな不安定な道を進むなどということは当時は現実にはありえないと思っていました。舞台に立てるようにいろいろやってみましたが、ジェットコースターのようにワクワク、ハラハラの大満足冒険に終わっていました。その後この先生はどこかに行ってしまい、私もこの不思議な話についてはすっかり忘れていました。そして次にそのことを思い出したのは日本の土を踏んだ時でした。そう、日本に着くまでは日本の地理についてはきわめて並の知識しかなく、山がある、しかもたくさんある国だとは知りませんでした。
自分の進む「道」を示してもらったもうひとつのケースはかなり滑稽なものでした。これも学生時代のことで、占い師に会いに行った最初で最後のことでした。ごたぶんにもれず私も恋をしていて、自分が選んだ人が私と結婚するかどうか知りたかったのです。友人の友人に紹介してもらい、はるかかなたの個人の家が建ち並ぶ地区に友人たちと出かけました。埃だらけのバスで小一時間行き、そこから目指す建物を見つけるのに小一時間。占い師の女性がアイロンかけを終えるまで半時間待った後で私たちはごくごく普通の木造の家の一部屋に順番に入りました。テーブルにはまだ冷め切っていないアイロンが残っていて、病院で使うようなネルのテーブルクロスがかかっていました。ガラス玉だの秘密めいた神秘な雰囲気もなにもありません。年のころ40歳くらいの占い師はテーブルにトランプを並べて実にすらすらと私の過去を話し出しました。全部合っていたことは覚えていますが、具体的なことは覚えていません。将来の話になると彼女は新たにトランプを並べると、信じられないかのように私のことをじっと見つめるのです。変な感じでした。彼女の言った言葉は覚えていないのですが、私が訊きたいと思ったこととは全然違うことを話したことは覚えています。答えが聞きたくて出かけてきた質問をすると、彼女は鼻で笑ってこう言うのです。
「どっちにしろ近いうちにここからとても遠いところに行くことになるよ。あんたのボーイフレンドなんてまるで必要なし。なるべく早く忘れることだね。」
まさに青天の霹靂でした。騙されたと思い、時間を無駄にしたことが残念でした。私たちはくたくたでガッカリして、ほとんど口もきかずに帰路に着きました。

街を歩きながらあちこちで足を止めていると、当時は特に意味を持たなかった出来事で大昔に忘れてしまっていたことがらが思い出されてくるのでした。今では青春時代の楽しい思い出となって湧き出すのでした。
夏休みはあっという間に終わり、「シベリア・エネルギー」で充電して第二の故郷に戻りました。新しいアイディアと実行に移し、新しい計画を立てる準備はバッチリ。あとは私の大切なみなさんがその愛と暖かさでサポートしてくださることを期待しています。


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