星が一つも見つからない…。最近は曇りばかり。毎晩空を見上げても月も星も見えず、空からロマンチックなものが消えてしまいました。
私にとって「星」という言葉を聞くと、かつて大いに精力をつぎ込んだ子供フェスティバルをすぐに思い出します。この企画を考えついたのは9年前、まだ日本への入国ビザ手続きが遅れていたためにロシアにいた頃の話です。当時私は生まれ故郷の村にある子供の芸能に取り組む組織の人たちと仲良くしていました。
ある秋の晩帰宅の途中で星いっぱいの空を見上げた時、星はいつでも見えるものなのだなあと思ったものです。その時あるアイディアが浮びました。遠く離れた小さな村落の子供たちの中には才能があっても大きな舞台を踏む機会を持たない子供たちがいるはず。そんな子たちのためにコンサートを開こうと思いついたのです。ノボシビルスク州行政府の文化部も後援を約束してくれて、私はこの仕事に熱中しました。近くの村落に住む天才児たちが私の村に集まりました。それはとても可愛い、ひたむきな子供たちでした。私は毎晩シンセサイザーの前に座って、伴奏楽器を持たない子供たちのために曲のアレンジを続けました。これが私の「電子ワールド」へのデビューの瞬間だったと思います。それまでは自分がいつかプロデユーサーをやるなどとは考えてもいませんでした。新鮮な空気を吸いに表に出て空を見上げると、いつもながらの気の遠くなるような星空がそこにありました!ロシアの冬は快晴の日が多いのです。
コンサートの名前は自然と決まりました。「スターを探して!」です。準備を進めるうちに普通のコンサートではなくてフェスティバルに自然になってゆき、私の企画をサポートしてくれるスポンサーも増えてゆきました。
フェスティバル当日村の会館はかつてない超満員。館長の女性は大あわて。ボロボロの扉を観客がぶち壊してしまうのではとハラハラしていました。すばらしいコンサートになりました。優秀な参加者には賞を出したので観客は大熱狂。当時はペレストロイカ後の時期で、いつもお決まりのソ連風コンサートにみんな飽き飽きしていた時でもあり、村の一大センセーションになりました。行政府の幹部は歓喜の涙にむせながら、私が始めた行事を引き継いでこの地域の「スターを探して!」フェスティバルとして毎年の行事にしよう、とすぐに提案してくれました。その後ロシアにいることがどんどん少なくなっていったので私は係わらなくなりましたが、このフェスティバルはここ9年間ますます盛大になりながら続いています。一年中で最も寒い1月の開催にもかかわらず、シベリアの寒さの中で村の文化会館を毎回満員にしています。このフェスティバルのおかげで会館の建物もついに修理されました。
これは私の人生の中でも一番記憶に残る出来事の一つです。たわいのない ものながらファンタジーあふれたアイディアがいくらでも湧き出ていた「熱い」青春時代を今でもなつかしく思い出します。星空を眺めては、それぞれの星を見つけるのを私が微力ながら手伝った、と期待したい子供たちの、幸せそうな顔を今でも思い出すのです。
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