DIARY
002
 有名な学者や芸術家、アーティストになる運命を生来背負っていて、実際にそういう人になることでどうやったらなれるのかを他の人たちに示してくれる人がいます。一方で冒険を捜し歩く人がいて、崖っぷちを歩いていてある日、本当に崖から落ちることで、他の人たちにそうならない方法を教えてくれる人もいます。両方にとってそれは与えられた使命なのです。でも人間というのは自分の使命、役割を変える力を持っているはず。その気にさえなれば・・・。そうですよね?
 麻薬中毒者に会うなんて恐いことだろうと思っていました。何か嫌なことをされるのが怖いというよりも、どう対応すればいいのかわからないからです。小言を言うわけにもいかないし、かといって気の毒がるわけにもいきません。
 この夏私はロシアでロシア人のブルーや明るい色の瞳の中に「悪魔」や「緑の蛇」をたくさん見ました。つまり薬で「へべれけ」状態になった人たちです。なぜかわかりませんが、アジア人の濃い色の瞳よりもヨーロッパ人の瞳のほうが私にはわかりやすいのです。
 私の欠点の一つは自分に対するのと同じように他人への要求がとてもきついことです。もちろんこの欠点とは常に戦ってはいますが・・・。「心をだらけさせない」というのが私の人生におけるスローガンで、同じ努力をまわりの人たちみんなにも要求してしまうのです。不幸なことがあったり、若気のいたりで人生につまずいたりすることもあるのはわかりますが、自分の人生のために戦う気力がないとは信じられないのです。戦いをあきらめてしまって運命を流れに任せてしまうような人は気の毒とは思いません。
 考えてみれば私も他の人たち同様人類の進化や自然淘汰の結果できた生き物です。私はたまたま強い人種の部類に入り、弱い人たちを直感的に避けるようにしています。すでに空高く上がった「鯉のぼり」が誰かに押しのけられたり邪魔されたりするのを嫌がるのと同じように。ここ数ヶ月こんな考えに取りつかれてしまい、なにか落ち着きませんでした。こんな気持ちに対する説明を探せば探すほどもっと混乱してしまうのでした。
 そんな時期にロシアで麻薬中毒者と話しをする機会がありました。自分の感情を隠すのがまったく苦手な私とその人との話しはとても「感動的な」ものになりました。そしてついに自分の気持ちを探ってみて得られた確信というのは、自信満々で進んでいる道を踏み外すことも私には怖くないということでした。その人に対する哀れみもついに味わうことはありませんでした。かえって感じたのは、自分の持つ資質、力を使って何かを変えたいという願望でした。
 使ってもいい武器を持っているのだから今がそれを使う時期だと思います。澄んだクリスタル・ヴォイスを持つ手の届かないアイドルでいなくてもいい、真実を真実とはっきり言うことを恐れない者でいたいと思うのです。私の言うことを聞いてくれる人がいるのなら、ひょっとしたらその人がまだ知らないことを理解する手助けになるようなことを言わなければならないと思います。運命を変えないといけないのだけれどもその力を持たない人たちに対して私が気の毒と思うとしたら、まさにそこなのです。
 すべてをあまりにも「自分の鐘楼」、つまり高みから一方的に判断しすぎだと思われるかもしれません。高みから降りて病院で病人の世話でもしろとか、アフリカに行って薬でも配ればいいと言われるかも。でも誰もが自分の鐘楼から判断を下しているのではないでしょうか。この鐘楼からこそ私の声が他のどこからよりも響き渡ると確信しています。そしてこれこそが私の人生での本当の使命なのかもしれません。


BACK